明治時代の100円は,今の何円くらいか?
                                                           林 秀明
 網走の歴史を調べると,マッチの軸木の話が出てきます。例えば,明治44年の網走港の総移出額は,37万ほどですが,その4割近い,10万円ほどがマッチの軸木の金額です。その37万とか,10万円とは,現在のいくらくらいになるのでしょう。そういうことが知りたくて,調べてみました。
 
『新・値段の風俗史』を見てみると
 私の手元に週間朝日編『新・値段の風俗史』(週間朝日 1990) という本があります。それにはいろいろな品物の値段が明治期から載っています。物の値段といっても,電子レンジの用に最初に発売された製品は20万円もして,今は1万円ちょっとで買えるものもあります。この本に載っている品物の中から,そういう形での値段の変動のなさそうなものを選んで,一覧俵にして,グラフほ作ってみました。
 それが,次の表です。
 選んだものは,[安産腹帯],[いなり寿司],[あんまん],[薬飴],[羊羹],[楊枝くろもじ千両箱],[軟膏]です。
 このグラフは,<当時の1円が現在ではいくらか>を見られるように作ってあります。
 これを見ると,選んだ品物は,どれもほぼ同じ傾向になっていることがわかります。明治30年ころの1円は,今の1万2000円程度だったようです。
 それにしても,このグラフを見ると,明治から昭和22年ころまでの物価がどんどん上がり,昭和になってからの物価の上昇は,ほとんどないような印象になります。でも,よく考えると,これは非常に怪しい判断です。
 大正10年頃の1円は,5000円ほどで,明治30年ころの1円が今の1万2000円程度ということは,値上がりは2.5倍です。私の子どものころのラーメンは60円とかで,少なくとも10倍は値上がりしていることになりますから,明治時代の値上がりが,戦後の値上がりよりも著しく大きいということはないのです。
 こういう値上がり率を見るのにとても良いグラフがあります。それが方対数グラフです。このグラフは,横軸は普通の目盛りですが,縦軸は対数になっていて,同じ間隔でも10倍,100倍,1000倍…となっているのです。このグラフで真っ直ぐな直線になると,その伸び率は一定ということで,値上げ率がよくわかります。
 グラフを方対数グラフにしてみましょう。(エクセルという表計算ソフトで,簡単に方対数グラフも作ることができます)
 これを見ると,明治時代の値上がりの様子と,戦後の値上がりの様子は,ほとんど同じことがほわります。
 やはり,明治時代に激しい値上がりがあったのではないのです。
 これを見て,もう一つ大きなことに気がつきました。これは,昭和16年頃から,昭和22年頃までグラフが不連続になっていることです。
 私は,これまで[物価の値上がりは,明治の始めころから少しずつ,少しずつ多少の変動はあっても続いてきたものだ]と,勝手に思いこんできました。実は,それは間違いで,「太平洋戦争」のを挟んで(6年間で),物価がほぼ100倍になったことを初めて知ることができました。100銭で1 円ですから,戦前1銭のものが,戦後1円になったのです。
 
インターネットで調べると
私のような問題意識をしている人は,他にもいるはずだと思いインターネットで調べてみると,Chigasaki・W.Sさんの「いまならいくら?(明治、大正、昭和の消費者物価)」http://chigasakioows.cool.ne.jp/ というページを見つけました。「お金」についてとても詳しいホーム・ページです。このホームページでは,
・図録・日本の貨幣・第8巻,
・日銀(日本銀行百年史・資料編)
・造幣局百年史
・総務省(総務省統計局ホームページ)
 の資料を使い,明治〜現代までの消費者物価を一覧表にしています。そして,

 これらの資料を単純に繋ぎ合わせて見ると
  ・明治 6年〜昭和29年(図 録):1386倍
  ・昭和29年〜昭和57年(日 銀):4.88倍
  ・昭和57年〜平成12年(総務省):1.23倍
 明治6年〜平成12年で、約8300倍となります・・・さて
 この数字は???
 
としています。
 
 下のグラフは,その数値を元に『新・値段の風俗史』とで解析したのと同じ考え方で,方対数グラフにしたものです。

                             太平洋戦争

                   凡例で「朝日」となっているのは明治時代までで,昭和の部分は「総務省」のデータによる。
 
 ここでも,戦前・戦後の物価の値上がりが見事に現れています。このグラフからは,明治の始めころから現代までの物価の上昇を6700倍くらいになります。Chigasaki・W.Sさんの分析では,約8300倍。最初のグラフでは,1万2000倍です。テレビも携帯もない時代です。生活水準が違っているので,正確な対比は難しいということだと思います。それで,明治初期に対しては,だいたい1万倍,明治30年ころで5000倍,戦前で1000〜2000倍,戦後から今日までで10倍。<2〜3倍から,1/2〜1/3程度の誤差を見る>これにそんな感じだと思います。
 
実際に当てはめてみると
 いくつかのケースで,当たってみましょう。『網走市史』下巻の559ぺには,「北見労働賃金」(明治42年)<北海乃新天地>というのが載っています。 (単位 円) 表内「日給」は,その表示がなかったが林が補足した
区  分  
農作年雇男 賄付 100 80 50
農作年雇女 賄付 35 30 25
農作日雇男 賄付 0.7 0.6 0.45
農作日雇女 賄付 0.4 0.3 0.25
日雇人夫 日給 0.85 0.75 0.65
下男 月給 7 5 3
下女 月給 3 2 1
養蚕女 日給 0.4 0.3 0.2
木挽職 日給 1.2 1.1 1
大工 日給 1.2 1.1 1
左官 日給 1.4 1.2 1
石工 日給 1.3 1.1 1
鍛冶 日給 1.2 1 0.9
製軸工男 日給 0.8 0.7 0.55
製軸工女 日給 0.4 0.3 0.25
鰊一期漁業雇 賄付 35 30 25
鮭一期漁業雇 賄付 35 30 25
鱒一期漁業雇 賄付 32 25 23
海扇一期漁業雇 賄付 55 50 45
北寄一期漁業雇 賄付 55 50 45
臨時漁業雇男 日給 1 0.8 0.7
臨時漁業雇女 日給 0.6 0.45 0.3
これを見ると,農作年雇男で年間100円ほど今の物価にすると年収50万円内外ということになります。賄い付きならば,当時の生活水準では暮らしていけるでしょう。
 養蚕女から下の専門職は,毎日仕事はないかもしれませんが,年収200〜300円(今ですと,150万円くらい)というところでしょうか。
 同書560ぺには,「網走物価」というのも出ていて,明治44年ですが,白米が一石で16円ほどです。一石とは,大人1人が1年間に食べる米の量です。
16円の5000倍は,8万円です。今,米10sが5000円くらいですから,1石=150sで,7万5000円と,ほぼいい線行っていると思います。
 明治31年の山田製軸工場の職工の1日の賃金が,0.6円と出ています。(同書,503ぺ)月,30日働くと月18円となります。年収は,200円くらい(今の年収100万円)となります。
 明治28年,藤野網走支店に入った18歳の高田左吉は,陸軍省へ軍資金の献納1円を申し出ました。その時の左吉の月給3円(今の2万円くらい?)であったといいます。(同書 59ぺ)
明治28年の白米の価格は,11円と出ています。
 
 『網走の学校』(網走市教育委員会1993)によると,道立網走南ケ丘高等学校の前身,[庁立網走中学校]は,<大正11年,遠藤熊吉氏からの10万円の寄付よって建てられた>と書いてあります。大正11年の10万円は,今の1000倍ほどの金額になりますから,約1億〜数億円ほどということになりますから,やはりすごい金額だったのですね。                                  2009. 1.6

【付け足し】

@生活水準というものが違いますから、この物価の表は、実感とは10倍くらいの誤差があると思います。計算上は、10倍の誤差は、たいした誤差ではないかもしれませんが、給料が20万円と200万円では大違いです。実感をつかむには、その当時の人々の給料がいくらくらいで、それはまぁまぁの生活ができたのかどうかを見て行く必要があるでしよう。その研究は、「いまならいくら?(明治、大正、昭和の消費者物価)」、http://chigasakioows.cool.ne.jp/でもある程度なされています。

A今、石油の値上がりに伴い、いろいろな物価が急上昇しています。戦前-戦後のような社会の大幅な変動による急な物価の上昇にはならないと思いますが、それでも、物価が10倍になると、100万円が10万円の価値しか無くなるということで、これは大変なことだと思います。お金ではなくて、金でもって財産を蓄えるというのも実感をもって感じることができます。
 現在の生活は、石油によって支えられているといっても過言ではありません。私が小さかった頃から、石油は、あと40年とか50 年で枯渇するとか言われたりしてきました。また、21世紀は、仕事も楽で、ボタンをいくつか押したら、それで仕事が終わり、食事も錠剤を飲むようなマンガがありました。また、〈人類は、あと30年で、滅亡する〉なんてまじめに言う人もいました。
 まったく、いろんな未来像があったのですが、今と言う時代を見ると、当たっていたものと、まったく違っていたものがあります。
 いずれにしても、遅かれ早かれ石油が無くなるは確かです。その時に、その過程で、社会は、〈ある・ない〉ばかりでなく、偏在とその時に、お金を儲けたり、飢餓に苦しむ人が出たりするのですから、どのようにことが起こるかをシミュレートしておく必要があると思います。 2009.8.12


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